接戦での負けはドタキャンと似てると思う。
応援してるチームがやたらと競って負けるんですよ、非常にメンタルに悪くて
応援するブログ消そうかと迷って簡潔に書いて誤魔化しました笑
自分がなぜ接戦での負けを嫌がるのかを考えたんですが、近年(ここ数年)
人と約束するじゃないですか?当日とか前日に決まる約束ってのが嫌で、
しょうがないものもあるんですが(仕事とか)当日とか前日の遅くに予定が
キャンセルされるとその空いた時間を有意義に使えない不器用さなわけで
自分が約束する側だと1週間前で、キャンセルも遅くて3日前だと思う
(釣りとか外スポーツはそう)
でです、ギリギリまで予定が確定できない人、状況ってのがあって
わかりやすいたとえで言うと
・小さな子供のいる共働きの人
これ結構キャンセルされることが多くて、しょうがないじゃないですか?
しょうがないけど、しょうがないで済ませる心と時間の余裕が自分にはなくて
そういう人とは積極的に約束できない感じです。
「しなやかさ」ってのが心身で加齢によって失われて、さらに器用なタイプでは
無いからなんかするって決めると気合がいるんですよ、それが急に無くなると
奮い立たせた気合のぶん疲れて無為な時間を過ごしてしまう・・・
約束がない、早い段階で約束がキャンセルされるって状況はスポーツで言う
・大差のついた試合
・消化試合
に該当すると思って、最近大差のついたゲームとか消化試合好きなんですよ。
期待せずに見れるから。
あと最近の風潮もあって、ネットで見たんですが映画とか本とかネタバレしてから
見る人が増えてるって話があってわかるわーと思っています笑
フィクションで自分が望まない結末を迎えた時のがっかり感とか、失望って
あるじゃないですか?多分精神的なコスパ悪いんですよ。
最近は時間とお金に関する効率が重要視されてて、料理のレシピとか凄いし
業務用スーパーが人気、そしてスポーツをフルで見る人が減ってる
(若い人がハイライトで満足)ように時短&節約時代ですよね。
youtubeのゲーム実況が人気なのも自分でやるのがめんどくさいって理由も
多いはずで今生きてる人は結構頑張ってて疲れてるから無駄なエネルギー
使いたくないってことだと思います。
希望のチラ見せと言いますか、あるけど薄い希望というのが非常に厄介で
ある有名女優さん(未婚、子どももいない)が50歳になっていろいろと
吹っ切れて楽になったとインタビューで答えたのが薄い希望の残酷さと
希望が無くなったゆえの希望を示してると思う。
宝くじって薄すぎる希望で薄すぎるからそんなハマらないと思うんですが、
他のギャンブルはまさに薄い希望があって、実際大勝ちすることもあるわけで
薄い希望はアルコールとかタバコより危険だと思う。
スポーツの接戦の恐ろしいとこは薄い希望が膨らんで大きな希望になって、
それが無くなったりするわけですよ。子供が家で誕生日プレゼントらしき
包みを発見してワクワクして喜んでたら、それが違う物だったみたいな感じ。
希望って100%ポジティブな単語ですが50%はネガティブ(超危険)な
存在で、希望だとか期待があるからの弊害も多いんだと思う。
そして自分が手に届かないとこの薄い希望(スポーツ応援)
自分の手で動かすことのできる薄い希望(将来の夢、目標など)は全然違う。
自分の努力で掴める希望なら結構痛み伴ってもしょうがない感じありません?
実際目標立てて行動してることがありますが、ほんと微々たる歩みというか
むしろ進んでるんかな?くらいの進捗で希望を自分で動かすことの辛さは
結構大きいですよ。競争社会なわけで自分が100%頑張ってても
他の人の30%に負けることが全然あって、どうぶつの森のような競争せず
努力が報われて楽しい華やかなものが流行るのわかりますもん。
応援するチームの接戦負けが残念過ぎてブログで消化してるんですが、
自分の力ではなんともできない希望とか期待は嗜好品のようにときどき
たしなむのが自分には合ってるかと思いました。
期待、希望は嗜好品!
では良い夜を!naoto:-)
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