2022年1月19日水曜日

見るもので感情は作られ、感じるものが微かに見えるものとして生まれるというブログ(叙情派ブログ)

 


  叙情系ハードコアってジャンルが昔から好きなのですが、上に張った動画の

バンドかなり素敵です(切なさとか語り掛ける部分とドラマティックで激情的な部分が

ミックスされた音楽)


今月スポーツをあまり見てなくて、先月で思うとこあってバスケットの試合見れる

サービス辞めたんですよ。Jリーグもプロ野球も試合がないし、学生サッカー、

学生のバスケも試合がないわけでスポーツは相撲をたまに見るくらいです。


不思議なもので、スポーツ観戦しないと穏やかになってる気がしてて、

スポーツを定期的にしてるんですが、スポーツするより見るほうが自分が攻撃的に

なってる感じがある。多分スポーツするとそこで発散するんでしょうね、

自分でやるとうまくいかなくても自分が悪いで完結するから攻撃性が完結して、

観戦だと納得できない結末が多いじゃないですか?そして自分でやってるわけでも

なく無力だからのやりきれなさがあって、刺々しくなっているのかと思う。

もちろん人によって違って、スポーツ観戦が発散になる人は多いと思うし、

スポーツやるほうがやきもきするって人も結構いると思う。個人差というか

考え方の問題ですね(夜遅くに書いてるから今日は文章深め)


 書きかけてやめたブログの中で

「読書は実はエゴイスティックな行為では?」って書いたのですが、友人たちと

してるスポーツの動画を編集してて、その動画に自分は出てこない(動画とってる

ので)から楽しく編集できてて思ったんですが、自分で自分の動画を編集して

世に出す人(youtuber)はかなりメンタルやられますよね、文章を書くより

はるかに自分で自分の動画を編集するのはさらけ出す行為だと思った。編集する

だけならいいのですが世に出す場合(不特定多数に動画を見せる)

ややダメな自分を映したほうが共感や応援が得られるわけで、自分で自分の

弱い動画を編集するってすごい哲学的な行為だと思った。そして今っぽい

コメントで見たんですが

「人のナレーションが邪魔」という恐ろしいコメントがあったんですよ、これ

すごい今を反映してて、人が読む声が機械の声に負けたりもするわけですよ。

もちろん好意的な人が読む声は機械に勝ってるのですが、好意的ではない人の声は

無音や機械に負ける、冷静に考えると外食とかしてもメニューを人が聞きに来る

とこより、機械でさっとできるほうがいい時もありますもんね。

プロスポーツは審判機械がいい派なので、機械が好きなのかもしれない。。


そうそう、それで「読書は実はエゴイスティックな行為では?」っていうのは

本を読むときって登場人物の声とか自分のいい理想の声で読んでるじゃないですか?

自分の都合のいい読み方と、都合のいいナレーションで読んでるわけですよ、

結構わがままですよね笑 本を読んでるといっても自分は完全に理解しようと

深く読んでないし、というか物語昨年1つも読んでないかもなんですが

本を読む=都合のいい娯楽、な気がしました。これも考え方次第で

もやっとする話だとか、読んでもスッキリしない話を好きな人もいるし、苦手な

人だっているじゃないですか?見るもの=見たいように見てるなんだと思う。


 見るものといっても大人なら「見たいもの」を見てて、自分繊細とかじゃなくて

せっかちなんでニュースとか見ると腹立ってくるんですよ、結論は?それで?

その後は??みたいになるから新聞くらいでニュース十分なんですが

見たいものを見てある程度なんとかなる時代になってますよね。しかし見たものが

言葉とか感情とか振る舞いに反映されると考えると面白いですよね。

この時期「ワカサギ」って魚食べる機会ありません?北海道だと「チカ」だと

思うんですが、このワカサギってとれる場所(湖)によって微妙にサイズとか

味わいが違うんですよ、北のほうは小さくてあっさりした味で関東のほうは

大きくて魚っぽい味がするみたいな・・環境の違いが味に反映されるみたいな

ことが人間でもあるねー、というブログでした笑

この反映されやすさも個人差があって、単純な人(自分)のほうが反映されやすい

ですね、いい反映をできるように頑張ります!

ではいい夜を!つな



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